Skip to content

がじゅまるレポート001

おきなわの保育のあんぜん

~私たちの『保育』はどうあるべきか~

◯主 催◯
(一社)沖縄県私立保育園連盟2022.09.23(祝) 10:00~12:30
南風原町立中央公民館

概要

2022年7月、沖縄の保育施設で乳児が死亡する事故が起きた。県内、どの施設を選択したとしても、子どもの安全を保障できる「保育」の実現のため、そして幅広い人たちと「議論」「模索」していくための企画。
講師は、保育事故の調査研究の第一人者でジャーナリストの、猪熊弘子さん。そして、保育の実施義務や子どもの貧困問題に取り組む弁護士、大井琢さん。

保育事故とは

死亡事故や治療に要する期間が30日以上の負傷や疾病を伴う重篤な事故等は、その後の経過にかかわらず、事案が生じた時点で市町村へ報告することが義務付けられている。
事故防止はもちろん、起きた後の処置・再発防止・関係者間の分析・共有・連携において、十分とは言えない。子どもや保護者・保育者のアフターケア、さらには日本における保育制度の現状など課題は山積している。

子どもは存在
安全は権利

「安全」は、安心とセットで聞くことの多い単語だ。保育の現場では当たり前のこととして言われるが、意識して作り続けなければ、スッとどこかに隠れてしまうものでもある。
保育の語りが「安心」や「情緒の安定」に寄れば寄るほど、そして保育者の関心が「幼児教育」に向くほどに、大前提であるはずの「安全」や「養護」が、縮こまっているように感じているのは、私だけではないはずだ。
私の知るところでは、戦後貧しかった沖縄は、子どもを増やし育て「島の力」にしてきた。物的資源がないからこそ、人を資源としたらしい。それは、琉球王朝時代から続く「芸能」の文化ともつながっている。

60代現役保育士の話から、子どもの人生そしてふるさとが豊かになることを願い、そして貧しさからの必要に迫られ、保育施設が民間の手で増えていったことを知る。
本島最南端(おそらく)の園の保育士から「幼稚園が終わった後、遊びに出た子どもが海で溺れてしまわないために、5歳児保育を始めた」と聞いた。 保護者・地域とともに、子どもの命を守る保育の実現のために陳情や署名を続けた保育士の存在が、今の沖縄の保育をつくったのだ。

今回のシンポジウムで、猪熊さんが「子どもを存在としてみているか?」と問いかけた。
今の保育が「仕事」から「作業」に成り下がっていないか?今一度考えたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です